PRIMヒストリー

チェコ共和国を代表する時計メーカーであるマニュファクチュールPRIM(プリム:端正の意)は、1946年に共産主義政権下のチェコスロバキアに創設された時計製造を行う国営企業クロノテクナの腕時計に特化した一部門として、1949年にチェコ北東部シレジア地方のノヴェー・メスト・ナト・メトゥイーに創業しました。この国の初めての腕時計メーカーであり、今日もチェコ唯一の時計メーカーとして存続しています。

1889年にノヴェー・メスト・ナト・メトゥイーの近隣、ポーランドとの国境近くの町ブロウモフにグスタフ・ベッカー社がクロック工場を創設しました。この工場は1930年にドイツのユンハンスに買収されましたが、1946年に国営企業クロノテクナの一部としてアラーム・クロックの製造を開始しました。これはチェコ・シレジア地方の時計製造の一部であり、プリムの歴史の一部でもあります。

第2次世界大戦後、時計の輸入が困難という理由で、プリムは創業されましたが、まったくのゼロからの腕時計製造はムーブメントも外装も自社内で製造することを意味し、最初の腕時計「スパルタク」が市場に送り出されたのは創業から9年目の1958年でした。1969年には国営企業クロノテクナから独立、エルトンと名を変更し1990年までに499,000個(15万個がクオーツ)の腕時計を製造しチェコスロバキアでは最初に手にする時計がプリムという国民的腕時計なりました。

ところが、1989年に共産主義政権は崩壊し1992年に国営企業は民営化され、1993年のスロバキアと平和的な分離、独立という急激な社会の変化はプリムの存続に大きな影響を及ぼし1990年にクオーツ、1993年には機械式ムーブメントの自社製造を中止し、スイスのロンダ製クオーツやETA製機械式ムーブメントを搭載した廉価品腕時計を作るのみとなり次第に事業は縮小していきました。

しかし、2000年に新たな資本と経営陣を迎えてプリムの母体となるエルトン・ホディナスカ社が再設立され、大量生産から高品質な機械式時計製造へ路線変更を決定したプリムは2009年初めに過去の自社ムーブメントの設計をベースに複数の改良を加える作業に取りかかり、創業60周年を祝った11月にキャリバー94とキャリバー98のプロトタイプを完成させました。、香箱のゼンマイの収納部分は拡大されパワーリザーブを数時間延長し、輪列のブリッジと香箱のブリッジを一体化し安定性を高めました。

1970年にノヴェー・メスト・ナト・メトゥイーの中心地から移転した本社工場は1990年には1200人以上いたという従業員も現在は約50名足らずですが、国営工場時代の時計の修理も受けながら、CNCマシン8台と先進的な品質検査システムも導入され、プリムが培ってきてノウハウは現代的な製法を得て、手巻き、自動巻きの4種類の自社製ムーブメントを年間1500個製造し、ETA製機械式、ロンダ製クオーツを搭載した完成品を含め、年間約5,000個を市場に送り出しています。

現在

チェコ国内のメーカーで製造されるサファイア・クリスタルを風防に、人工ルビーを受け石に使用し、ケース、ベゼル、リューズ、文字盤、針などの外装部品は自社で製造され、研磨して仕上げられています。ムーブメントは、地板、受け、歯車、テンワ、ネジ、バネなどの部品の大半を自社で製造していますが、主ゼンマイ、アンクル、インカブロックはスイス製、ヒゲゼンマイはドイツ製を採用しています。メッキ加工も自社で行われ、ブリッジやローターには装飾が施され、さらにローターにはチェコの国章に描かれたライオンの紋章と英語でCZECH MADE(チェコ製)の文字が入れられます。
歩度は5ポジションで検査し、日差−6秒から+24秒を基準に出荷され、日本国内で再度調整されます。

プリムは共産圏時代より国賓への献上品として18Kモデルを造っており、親交のある各国首相、ロイヤルファミリーなどに政府御用達の献上品として選ばれている、チェコ共和国では格式の高い時計メーカーです。

デザインは、いずれも50年代から60年代に存在したモデルの後継機で、アンティーク・ウォッチを思わせる雰囲気が特徴です。初の海外進出となる日本では「ディプロマット」、「スパルタク」、「パヴーク」の3つのラインが展開され、「スパルタク36」、「パヴーク」の手巻き、デイトなしモデルは日本のリクエストに応えて製作されたモデルでマニュファクチュールブランドのみが出来る対応です。
自社製ムーブメントを搭載した小振りで温かみのあるデザインは北米などでも次第に注目を集めています。

PRIM オフィシャルサイト(日本) ≫PRIM Facebook(日本)

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