HMT

 HMT(Hindustan Machine Tools Limited)は、英国の植民地時代にインドの近代化を目的とした国営企業として英国政府により設立されました。設立時はポンプの製造会社としてスタートしましたが、その後日本のシチズンや日立、マクセル、ドイツのシーメンス、イタリアのオリベッテイなど世界でトップレベルの企業と技術提携をして乾電池からコンピューターやCNC工作機械など幅広く業務内容を拡大し、機械製造分野へと発展を遂げていきました。

HMT(エイチエムティー)社における時計生産は創業から間もなくして開始されましたが、1953年には時計の生産部門が独立し、1960年代後期に日本の時計会社との技術提携により機械式腕時計の製造に着手した後、1990年代になるとアナログやデジタルのクォーツ時計の製造もするようになりました。

 

 

最盛期にはインド国内に14ヶ所の時計工場を有し、時計製造だけで8,000人ものスタッフが従事するようになり、1990年代には日本にも輸出されました。その後、インドの好景気とともに機械式腕時計の生産を減らしてクオーツ時計の量産にシフトしましたがインド国外で製造された安価なクオーツ時計の台頭でインド国内の需要が低迷し、工場の規模縮小を余儀なくされました。

しかし、HMT社は再び機械式腕時計の生産を見直し輸出の道を進み始めました。民営化された今日、バンガロールにある時計部門の本部で改めて機械式腕時計を製造するために工場の設備投資と技術革新を着々と進めています。

 

完全自社製造を行なうHMTの腕時計の中で最も興味深いのが「キャリバー020」と呼ばれる機械式の手巻ムーブメントです。センターセコンドの3 針時計で耐震装置に「パラショック」を採用しています。このパラショックは、1956年に日本のシチズン時計が開発した日本初の機械式腕時計用耐震装置です。開発当時、その耐久性を実証するためにヘリコプターを使って上空30メートルからの落下テストを敢行し、見事に耐久性を実証しシチズンの技術力の高さを知らしめました。1960年に発売されたパラショック耐震装置を採用したCal.020を搭載したシチズン ホーマーは、当時、時計の組立は人手に頼っていましたが、大量生産の実現に向けてやがて来る組立の機械化を想定した設計思想を取り入れた最初の機種です。廉価品から優秀級クロノメーターまでの広範囲な製品群があり、汎用性の高い標準機種キャリバーとして、大きな変更もなく非常に長期間にわたり製造されました。その品質の高さから、当時は日本の旧国鉄をはじめ多くの鉄道会社の鉄道員用として、支給されてたことは非常に有名です。


HMTでは、今日においても標準規格としてパラショックの製造を続けています。こうして今もなお、日本の機械式時計産業に多大なる貢献を果たした優れたムーブメントは、異国の地へと受継がれ脈々と生産されています。手巻き式のムーブメントの歯車の軸受けは17石、自動巻きムーブメントは、21石を使用しています。いずれもアンクル脱進機を採用した確かな時を刻む製品として作り込まれています。これらのムーブメントを搭載し、製品化されるモデルは、1970年代の日本製に見られるクラシックタイプのケースに収められ、カーブしたダイヤルや、アクリル風防で外装を構成するなど、そのどことなくノスタルジックな雰囲気は、世界各国の時計愛好家からも注目されています。

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